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オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公) : ミニ英和和英辞書
オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公)[おっとー1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公) : ウィキペディア日本語版
オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公)[おっとー1せい]
オットー1世(Otto I., 1390年8月24日 - 1461年3月14日)は、プファルツ=モスバッハ公。プファルツ選帝侯ドイツ王ループレヒトニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘エリーザベトの五男。プファルツ=モスバッハ家の祖。プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世、プファルツ=ノイマルクト公ヨハン、プファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン公シュテファンの弟。
1410年の父の死後、領土を分割、モスバッハを領有した。モスバッハの発展に尽くす一方、幼少の甥(長兄ルートヴィヒ3世の子)ルートヴィヒ4世の後見人を1442年まで務めた。1448年カルマル同盟(北欧三国)の君主だった甥(次兄ヨハンの子)クリストファ(クリストフ)が亡くなり、遺領のノイマルクトを相続、一部は三兄のシュテファンに分け与えた。1461年のオットー1世の死後、子のオットー2世はモスバッハとノイマルクトを合わせて相続、プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト公となった。
== 子女 ==
1430年下バイエルン=ランツフート公ハインリヒ16世の娘ヨハンナと結婚。9人の子を儲けた。
*マルガレーテ(1432年 - 1451年) - ハーナウ伯ラインハルト3世と結婚。
*アマーリエ(1433年 - 1488年) - リーネック伯フィリップと結婚。
*オットー2世(1435年 - 1499年) - プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト公
*ループレヒト(1437年 - 1465年) - レーゲンスブルク司教
*ドロテア(1439年 - 1482年)
*アルブレヒト(1440年 - 1506年) - シュトラスブルク司教
*アンナ(1441年 - ?)
*ヨハン(1443年 - 1486年) - マインツ主席司祭
*バルバラ(1444年 - 1486年) - 修道女




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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